野田敏子代表の思い
スポンサードリンク私の思う合気道とは
健全な精神は健康な肉体にやどる、と言われています。文明が進み便利な世の中になりましたが、沢山のストレスを抱えているのも事実です。
合気道の稽古を通して間合いを意識し、自然体で不動心、平常心を保てるよう“こころ”を学びます。それと同時に護身術を身につけます。
神楽坂合気道クラブ 代表 野田 敏子
私と合気道
私が合気道を始めたきっかけは、アメリカの永住権を取るために、語学と同時に日本の文化を学びたく思っていました。
当時、早稲田大学の事務職をしていました私は、早稲田エクステーションセンターの成山師範の「合気道の講座」を知りました。
仕事から戻ると夕食の準備をして、また学校に戻り7時40分の講座に参加するようになりました。成山師範の美しい動作と技に感動を覚え通勤の電車を待つ時間も運足と手刀の稽古に余念がありませんでした。
1993年10月の事です。我が人生の中で、これほど長く続いたものはありませんでした。この講座は1クール8回あるいは10回の春と秋に行われていました。
1クールの終わりに新宿スポーツ合気道クラブ(SSAC)の三原会長のすすめで日曜に、また九段スポーツ合気道クラブの萩原先生(7段)の土曜の武道館の稽古の会員になり、充実した合気道三昧の生活が始まりました。
その後、武道館の道場の確保が難しくなり森川先生(7段)のすすめで「神楽坂合気道クラブ」を発足し現在に至っています。
土曜日のクラスは、小石川工業高校の閉鎖と同時に終わりましたが、現在は山吹高校と文京スポーツセンターの道場をお借りして日曜日の稽古を続けています。
合気道を通じて一人でも多くの方に武道の楽しさと同時に日本人である誇りと先人達の美しい立ち振る舞いを忘れることのないように培っていきたいと考えております。
当時、早稲田大学の事務職をしていました私は、早稲田エクステーションセンターの成山師範の「合気道の講座」を知りました。
仕事から戻ると夕食の準備をして、また学校に戻り7時40分の講座に参加するようになりました。成山師範の美しい動作と技に感動を覚え通勤の電車を待つ時間も運足と手刀の稽古に余念がありませんでした。
1993年10月の事です。我が人生の中で、これほど長く続いたものはありませんでした。この講座は1クール8回あるいは10回の春と秋に行われていました。
1クールの終わりに新宿スポーツ合気道クラブ(SSAC)の三原会長のすすめで日曜に、また九段スポーツ合気道クラブの萩原先生(7段)の土曜の武道館の稽古の会員になり、充実した合気道三昧の生活が始まりました。
その後、武道館の道場の確保が難しくなり森川先生(7段)のすすめで「神楽坂合気道クラブ」を発足し現在に至っています。
土曜日のクラスは、小石川工業高校の閉鎖と同時に終わりましたが、現在は山吹高校と文京スポーツセンターの道場をお借りして日曜日の稽古を続けています。
合気道を通じて一人でも多くの方に武道の楽しさと同時に日本人である誇りと先人達の美しい立ち振る舞いを忘れることのないように培っていきたいと考えております。
野田敏子先生の写真集
野田先生のご活躍ぶりや、優しく明るいお人柄を写真でご紹介します。
(写真をクリックすると拡大写真になります)
↓第4回 国際合気道競技大会で左が野田先生、右は萩原先生(審判もされました)
↓野田先生の基本17本の演武
↓第23回 関西社会人合気道競技大会(成山師範を中心に記念撮影)
後列の左端が野田先生、左3番目が萩原先生
↓第23回 関西社会人合気道競技大会での試合風景
後ろで成山師範の鋭い視線が・・・・
↓ヨーロッパに合気道遠征に行った時のスナップ
↓こんなお淑やかな一面も・・・・